仕事、一人暮らし、そしてカード地獄|第2回・双極性障がいとわたし

仕事、一人暮らし、そしてカード地獄|第2回・双極性障がいとわたし

こんにちは!ばんびです。

前回は、生い立ちおよび大学卒業から就職へ至るまでを書きました。

今回は学生時代の終わり〜社会人編です。

私もいよいよ社会へ!

大学の専攻と将来の目標

社会に出る前、大学で専攻していたのはDTPデザインでした。

現在、印刷業界での制作作業はパソコンで専用ソフトを使い、デザイン・編集技術するのが主流です。(大昔は全てが手作業でした)

学生時代はソフトの使い方、印刷業の基本、色について、カメラの扱い方、感性のアップなどを目的に多種多様なものに取り組みました。

(しかしこれらはあくまでも基本で、実務で現実を知ることになります。真っ黒と色つきの黒の違いや、色の掛け合わせ・相性、紙によって望んだ色にならなかったり…これはもう経験経験経験でした)

私の目標は、身近にある様々な情報(見えないイメージ)を機能的かつ視覚的に表現できるようになり、豊かで柔軟な感性を持って情報を整理するデザイン力とデジタル技術を得て、現場で即戦力になる、ということでした。

内定までの経緯

私が入社した会社では、人事を決めるのは社長、総務部長(当時)と所属長の3人でした。私含め3名面接を受け、受かったのは私1人です。

社長と総務部長は私の合格を渋ったそうですが、所属長がゴリ推しして決まったのだ、と後に他の人(外部)から教えてもらいました。

というのも私には、他の2人にはない、当時はまだ珍しかったwebサイト構築の経験があったからです。

それは、学生時代完全に趣味でやっていたものでした。

今のように商業用専門ソフトが多くあったわけではなく、webサイトの構築には打ち込み等の知識もないとダメでした。

所属長が私をゴリ押ししたのも、その点(印刷業以外の伸びしろ)を買ってのことだったのでしょう。

デザイン系企業への入社と研修の始まり

入社時、同じ部署に配属になったのは市内に住む目がクリクリッと可愛くて素直で世渡り上手で物事をはっきり言う高卒の女の子。

「パソコンを扱う仕事」と聞いて入社したようです。(本人は事務かな?と思っていたそうです)

私はひっそり、純粋な彼女に憧れていました。

しかしこの子が後に私の人生に多大な影響を及ぼすことになるとは思いもよらなかったのです。

ともあれ、私も同期の子も「新入社員」ということには変わりがないので、役職持ちの先輩社員から

・受注から納品までの流れ
・ソフトの扱い方
・美しい配置、配色
・各業界のタブー

などなど、イチから沢山教わりました。(外部で社会人マナー教室へ参加することもありました)

正直最初私は「ソフトの扱い方」位はできるのに…と軽くイラッとしましたが、そこはプロの世界、私が知っている「ソフトの扱い方」とは全く違うものでした。

扱い方もルールも(会社ごとに違うと思います)、何より効率が、学校で「なんとなく」教わっていたこととは全く違うのです。

独り立ちまでの目安は試用期間終了まで…毎日が勉強です。

一人暮らしスタート!

親の目から離れた途端…

それと同時に一人暮らしもスタートしました。

一人暮らしするなんて考えてもいなかったので一人で暮らすことに関しては無知同様です。

食事は実家の時を思い出し見様見真似でなんとかやってました…が自分1人のために…とだんだん面倒くさくなってきて、コンビニや弁当店を多用するようになりました。

学生時代のラスト1年強はインターネット漬けで、テレホーダイ(深夜23時~朝8時までインターネット定額使いたい放題のサービス…今はありません)の時間帯はゴールデンタイム。

ずっと趣味関係のサイトに入り浸り、時間外は課題制作もあるのでパソコン三昧の日々を送ります。

共通の趣味の人と延々と話していたくて、眠らないといけないのに眠ったら話についていけなくなる焦りから睡眠時間を極力割いて没頭していました。

学業はもちろんおろそかになります。

講義の時間に起きれず、学校に行けなかったり、遅刻したり…

自作ホームページを持つのが流行っていたので、その当時に築いたwebの知識が仕事に繋がってるとなるとまた不思議なものです。

遊びに夢中!

両親の目がないせいか…家ではだらしない生活、学生気分は抜けず仕事も遊び半分になって怒られることが多々ありました。

睡眠時間も学生時代のクセで短め…慣れない土地で、仕事をし、初めての一人暮らしをして疲れているけど、インターネットに依存することは変わらなかったのです。

寝たいけれど寝たくない。

優先順位が断然生活より趣味が上。ほぼ逆転しています。

お金を得るようになって更に趣味の幅を広げることができ、次第に私は調子に乗るようになっていきました。

最初にやってきた大型連休、実家には顔を出す程度に帰り、学生時代と同じように大阪へ向かいました。

ロリィタとの出会い

ネットで知り合った友だち(友だちNとします)に誘われ、そこでロリィタファッションと出会います。

(下妻物語という映画で深田恭子さんがピンクのBABY~お洋服を着ていたことが有名ですね)

元々お洋服が大好きでCUTiEやzipper等個性的なファッションの虜でした。決して安い部類には入りません。(比較的お手頃なブランドもありますが)

大阪・ミナミのアメリカ村界隈(関西の若者ファッションや音楽文化を発信し続けている、東京でいうと原宿に近いイメージでしょうか)に集まっているゴシック&ロリィタのお店を何店もはしご…

店舗ごとにお洋服のコンセプトが全く違い、今まで噂には聞いていたけれど生で見るのは初めての世界(とその世界の価格帯)にカルチャーショックを受け、その場は終わります。

なぜなら、決してお安くないお洋服はその場では買うことができなかったからです。(同人誌即売会への参加が目的だったため)

徐々に麻痺していく金銭感覚

ロリィタファッションはお洋服一着を買えば完成ではありません。ヘッドドレス(またはボンネット)や見えない所ではドロワーズやパニエ、靴下、靴、バッグなど…着方にもよりますが上から下まで一式揃えると10万は軽く超えます。

地元に帰り、少しお金を貯め、大阪で目をつけていたお気に入りのお店へ向かい最初の一着を手にしました。

同時期、昔から追いかけていたアーティストが数年ぶりに活動復活して、復活イベントで隣同士になった人に話しかけられ友だちになりました。(友だちSとします)

その後のライブに初めて買ったロリィタ服を着ていきました。

お出かけ用として買ったお洋服でしたが、違う自分になれたことに興奮を覚え、短期間で次々とお洋服に手を出すようになりました。

最初にミナミへ行った行った友だちNとお揃いにしたり…

金銭感覚の麻痺がここにも顕著に表れてきます。

印刷業界でてんやわんや

独り立ちしていくとともに…

やがて試用期間も終わり、DTPオペレーターとして独り立ちをして徐々に仕事を任せてもらえるようになりました。

最初は小さい案件、徐々に大きな案件まで…数も増えていきます。

状況によっては残業をするようになりました。

印刷業という業界では、定時上りはほぼあり得ません。(閑散期は定時もあり、1~2時間程度の軽い残業もありますが)

年を追うごとにパソコンの性能とソフトの利便性が向上し、クライアントと即時のレスポンスがお互いになされて、スピードアップが求められます。

もっとクオリティを!

追い打ちのように、業績アップのため、価格が破格・タイトなスケジュールな案件も強制的に受注してきて(デザイン重視のコンペもあります)、現場にしわ寄せが来るように。

新米の私でも先輩並みの技術とデザイン力を求められます。

「初心者だからこの程度の仕上がりで許してね」というのは通じません。

1年目でも10年目並みの仕上がりになるように上司や先輩に指示を仰ぎます。

営業マンが自社の「作品」ですと胸を張って提出するものを作らなければなりませんでした。

それでもまだ当時は、8時まで仕事をするならパン1つとパックジュース、10時まで残業するなら仕出ししてもらえました。

「魔法のカード」との出会い

慣れない仕事に四苦八苦しながらでしたが、一度家に帰れば適当なご飯を、寝ずにインターネットをし、次のライブの予定(遠方でしたが、友だちSの家にも結構な頻度で遊びに行ってました)や次に欲しいロリィタ服のことなどで頭は一杯。

ボーナスも出て生活は何とかできていましたが、当時から既に斜陽産業といわれていた印刷業だけあって薄給でいっぱいいっぱいです。

実家に帰省した時、祖母から貰ったお小遣い(本来なら渡す身分の筈が)でやりくりしてたものです。

そんな時、取引会社からの斡旋でクレジットカードを作ることになりました。(2社)

そのクレジットカードこそがその後20年近くに渡り、私を苦しめることになろうとは当時微塵も考えていませんでした。

最初は信用度が低いので限度額も低く、1万円も使っちゃった!!怖い怖い!…が、徐々に普段着を大量を買うのにも使うようになり、3万円を分割で…といったようにエスカレートしていきます。

カードの闇に呑み込まれていく

お洋服だけではありません。

ライブに行くための交通費や、大型連休に大阪へ行く交通費(+そこでの滞在費)、ロリィタ服、CDやDVD、コミックなど、金額の大きいものから現金で払えそうなものまで全部カードを使うようになっていたのです。

(食費と生活雑貨だけは現金払いでした)

浪費に更に拍車をかけたのが、友だちNの紹介で出会ったボークスの球体関節人形…

当時は今ほどクオリティーが高くなく、1体(お洋服なしの裸の状態)で5万円台~7万円位でした。

生産数が少なく、店頭で好みの子に会えたらラッキーと言われていたところ、ショップに足を運んだら、丁度目当ての子がいたので2回に分けてカードを切り、2体お迎えしました。

球体関節人形はその後人気に火が付き、小さくて安価なモデルや大きな男性モデルのドールも発売されました。メイクもデフォルトで施されていて少し進化しています。

友だちSを興味本位でショールームに連れて行ったところ、やはりその美しさに影響されてその場でクレジットカードを作り、お迎え。その後カード地獄にまきこんでしまいました。(後述)

ヤフーオークションにハマっていたのもこの頃です。

今や何を落札したかも覚えていませんが(1000件位の売買があるため)、アイドルのグッズや手作りのドールのお洋服、中古のロリィタ服を買っていたと思います。

そんな生活でも滞りなくクレジットカードの支払いができていたのが今でも不思議です。

私は無敵(架空)

魔法のカードを手にした私は無敵になりました。

働いて得たお金以上のお金(架空)が手元にある。

発作的に欲しい!と思ったものがインターネットでポチッお店でも機械に通してサインをするだけ…それだけで若干値が張るものでも欲しいものが手に入る!

なんてステキなことなんでしょう。

慣れない環境での生活、任される仕事は増え、先輩からのダメ出しと焦って仕事をした結果ミスを連発して(自分のせいですが)ストレスは溜まり、学生気分は抜けきれずに遊びやお洋服(消費欲はここに集中しました)のことで頭がいっぱい。

ストレスの解消…消費をすることで全て解き放たれる。

いわばお買い物が一つのレジャーと化してました。

不満・イライラ・快楽を浪費へとぶつけることになるのです…

次回、私の会社内での立場が変わっていきます。

人事異動、そして恋愛…憧れの同期ちゃんも数年後いなくなってしまいます。

そしてほぼ同時期に新しい後輩が複数名入ってきてアタフタすることに。

苦悩の中、会社に喜びも見つけるようになるのです…。

ここまでの更新:

わたしが社会に出るまで|第1回・双極性障がいとわたし

仕事、一人暮らし、そしてカード地獄|第2回・双極性障がいとわたし

社内環境の変化と恋と別れ|第3回・双極性障がいとわたし

借金だらけの底辺生活から幸せの絶頂へ|第4回・双極性障がいとわたし

幸せの絶頂から叩き落とされて…|第5回・双極性障がいとわたし

闘病生活と結婚生活と仕事と|第6回・双極性障がいとわたし

奔放な恋愛と仕事での絶望、そして運命の出会い|第7回・双極性障がいとわたし

就労支援による再々就職と止まらない衝動|第8回・双極性障がいとわたし

障がい者手帳・自立支援手帳・障がい年金についての体験談|第9回・双極性障がいとわたし

続かない就労支援と病状の悪化、旦那さんの葛藤|第10回・双極性障がいとわたし

仕事と家庭と病気、そして今のわたし|最終回・双極性障がいとわたし

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