横暴な父からの暴力、虐待、ネグレクト。母の苦悩。|第1回・DV父とモラハラ夫

横暴な父からの暴力、虐待、ネグレクト。母の苦悩。|第1回・DV父とモラハラ夫

今回から、フリーライターの成田玲美さんをお招きし、先週までの連載に引き続き虐待と家族との闘いの記録を書いていただくことになった。

玲美さんの苦悩。闘い。

克明に記録されたひとりの女性の人生の物語である。

はじめに

初めまして。成田玲美です。

今回のお仕事を引き受けるに当たり、原動力となったこと。

それは、いろいろな思いをした中で私を支えてくれた、ツイッターやフェイスブックなどでつながってくれていたネット友達の存在でした。

自分よりつらい思いをしてる人がいる。

自分の思いを吐きだすことで元気になってくれる人がいる。

それが原動力になったんだと思います。

自分でもこの連載を書いていくことでまた一つ自分を成長させることができるのではないかと思っております。

それでは、早速本題に入っていきます。

うつ病と診断されて

幸せになるんだ!…と思った矢先。

結婚し、子供も生まれ何不自由なく幸せに暮らしていけるんだ。私はこれから幸せになるんだ。そう思った矢先のことでした。

一番下の子が生まれて間もなく、私は理由もなく悲しくなってしまう状態が起こるようになりました。また、子供が楽しい話をしてくれているのに興味や関心がわかず、体を動かすのもやっとという症状に襲われました。

ちょっとしたことで必要以上に興奮し、子供たちを叩いてしまったり、いきなり子供たちの目の前で柱に頭をぶつけてみたり。

小さなころからストレスからくるアレルギーやアトピーなど様々な症状を抱えていた私ですが、今までにはない症状が出たことに自分でも驚きました。

児童相談所に駆け込んで自分がしていることが子供の虐待になってはいないかなど確認したこともあったほどです。

児童相談所の人は親身に私の話を聞いてくださった後、
「お母さんの今していることは虐待にはならないですが、心身的に余裕がなくなると虐待に変わってくることもありますから、一度心療内科や精神科などにいてみたらどうでしょうか。」
そういわれたのです。

病院へ。そして下る診断。

元々母が統合失調症で精神科へ通院していたのでそういった病院への抵抗は全くなく、私は心療内科を受診してみることにしました。その時、医師から、過去のトラウマなどから来るうつ病と診断されました。

「どうやら最近始まった症状ではないようなので、小さい頃からの話をもう少し詳しく教えていただけませんか?」

そう言われたのです。

自分でも小さいころから心身に不調をきたし学校を休むことも多かったので、うつ病などのような心身的な病気にかかっているだろうということは自分でも予測はしていました。

しかし、いざうつ病と診断が下ると否定したい気持ちになり、しばらくは信じたくないという気持ちで処方された薬を飲むのも抵抗がありました。

それでも、子供たちの可愛い寝顔やしぐさを見ているうちに、病気に負けている場合ではない、薬をしっかり飲んで病気と向き合っていこうと決めたのです。

幼少期

父と母の結婚

私の父は先妻に子供を置いて逃げられている状態でした。父一人で子供を面倒見ることができずしばらくは父の実家で過ごしていたようです。

しかし父の実家にも自分たちの生活がありますからいつまでも実家で過ごされても困ってしまいます。

そこで父の親せきが後妻にと目を付けたのが精神的な病を抱えつつ実家で生活していた母でした。

母は最初結婚にあこがれてお見合いを受けましたが、子供がいる上に見た目も好みでないのでお断りしようとしました。

しかし、仲立ちした親戚に半分脅しのような言葉をかけられ、怖さで結婚してしまいました。

最初は何とか周囲に溶けこもうと努力した母でしたが、田舎から来た母には住んでいる環境ががらりと変わったことは大きなストレスになっていたようです。

もともと人となじめる性格でもなかった母はだんだん家に閉じこもりがちになりました。

そんな時父がお酒で泥酔した勢いで、母は妊娠してしまったのです。

母の苦しみ

妊娠がわかってからというもの、父は
「その子供は俺の子じゃない、堕してくれ。生まないでくれ」
と毎日のように堕胎を迫ってきました。

しかし生む決意をした母は、この環境では安心して産めないからと実家に帰ります。この実家に帰ったことが母と私をさらに苦しめることになろうとはその時は全く気が付きませんでした。

母が実家に戻っていた間に父は近所の人たちに
「嫁にそそのかされて子供ができてしまった。嫁は色きちがいだ」
などと触れ回って歩いていたのです。

父は近所の人たちにはあまり信用はありませんでしたが、反論する私たちがいなかったので父の話を鵜呑みにしてしまいました。

私が6か月ほどで自宅へ戻ってきたときには、母は差別的な言葉で近所の人たちから罵られるようになっていました。

そしてその娘の私も自分の口で本当のことを話せるようになるまで近所の人たちの誤解は続き、母は一歩も家の外から出られなくなってしまいました。

私がようやく言葉を覚え、母の誤解を解いたころには母は統合失調症にかかってしまっていたのです。

父の愛情の向く先は…

私と母の苦痛は近所ばかりではありませんでした。

先妻と先妻の子を愛していた父は腹違いの姉ばかり可愛がり、私は他人扱い。

姉が悪いことをしても悪いのは全部私。叩かれたり蹴られたりして鼓膜を破られたこともあります。また、蹴られた後遺症で患った脊椎側弯、脊椎曲湾症は今でも残っています。

顔を合わせれば「まだ生きていたのか」などと言われ、守ろうと母が反撃すると私たちの目の前へ包丁やガラスの灰皿などがどんどん飛んできました。

そんな環境の中私はアトピー性皮膚炎とアレルギー性鼻炎、喘息、周期嘔吐症など、ストレスからくる様々な病気を発症し始めたのも小学校入学前頃から始まった症状です。

そんな私も、学校に上がります。

そこで待っていたのは壮絶ないじめでした。

ここまでの更新:

横暴な父からの暴力、虐待、ネグレクト。母の苦悩。|第1回・DV父とモラハラ夫

学生時代の壮絶ないじめ…でも目の見えない女性と出会うことで変わり、福祉の世界へ。|第2回・DV父とモラハラ夫

介護福祉士として楽しく働く日々、結婚…そして始まった「言葉の暴力」|第3回・DV父とモラハラ夫

「父を許さない」選択。一生残る心の傷。それでも支えてくれる人々と前へ向かって進んでいく。|最終回・DV父とモラハラ夫

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