学生時代の壮絶ないじめ…でも目の見えない女性と出会うことで変わり、福祉の世界へ。|第2回・DV父とモラハラ夫

学生時代の壮絶ないじめ…でも目の見えない女性と出会うことで変わり、福祉の世界へ。|第2回・DV父とモラハラ夫

こんにちはこんばんは、氷野です。

ライターの成田玲美さんをお招きし書いていただいている連載企画『DV父とモラハラ夫』。前回は、玲美さんの凄絶な生まれと家庭環境について書いていただきました。

今回は、小学校に上がってからの学生時代の玲美さんを描いていただきます。

変わらぬ家庭環境のまま小学校へ。

酒浸りの父、病気の母。

家庭環境は何一つ変わらぬまま。

父は子供を家において酒におぼれ、帰ってくると何かと理由をつけては私や母に暴言を吐いたり暴力を振ったりする日が毎日のように続きました。

私が小学校へ入学する頃には、母は外へ出ることもできませんでしたし、私や姉と会話することすら難しい状態になってしまいました。

母を病院へ連れて行ってあげたいという気持ちはあったものの、子供だけではどうすることもできず、母のことを常に心配しながら学校へ向かいます。

状況を私から電話で聞いていた母方の祖母が時折様子を見に来てくれましたが、あまりにひどい状況に精神科を受診させます。

そこで統合失調症と判断されますが、祖母が帰ってしまうと病院にも行かせてもらえず、結局そのまま様子を見ることしかできませんでした。

私が小学4年生になる少し前、中学を卒業した姉は元々憧れていた看護師になるため東京の大学病院へ。そして父と母と私の3人暮らしになりました。

始まったいじめ

小学4年生のころといえば、いじめなどが徐々に発生してくる年代です。

私の家の環境が他の家庭とは違っていたことや、母に代わって夕飯などの材料を買いに行くなどしなければならなかったことなどから、ほかの子と同じような行動をとることができず、からかわれるようになりました。

からかわれている間に、私が誰かに相談したり、「止めて」と声をあげたりすれば良かったのでしょうが、当時の私にはそんな勇気はありませんでした。

からかわれるのが嫌で、みんなと同じようになりたいとクラスメートに嘘をついたのも、今思えばいじめが激化した要因だったように思います。

からかいは小学校高学年になるとさらに激化し、クラスの人たちから無視されるようになりました。

何を話しても誰からも無視されたうえに、班を決める時に私がその班に入ると露骨に嫌な顔をされたこともあります。上靴を捨てられたり、教科書を窓から落とされたりした時もあります。

父のことで精神的におかしくなってしまった母には相談できず、父に話しても「お前が悪いからいじめられるんだ」と相手にしてもらえず。

私が私らしくいられる場所はどんどん狭くなっていきました。

中学へ上がるも…ついに不登校に。

私の入学した小学校はほぼ全員が中学校も一緒だったため、中学へ入ってからもいじめは続きました。

無視はもちろん、暴力や暴言を吐かれたりするようにもなりました。

廊下で同級生の女子に蹴飛ばされたときは、会議室のドアノブに背中を強打し肋骨を骨折したこともあります。

また、「不細工は生きてる価値がない!死ね!」と窓から突き落とされそうになったこともあります。この時は正直「もう駄目だ。このまま死ぬんだ」と思いました。

しかし、半分あきらめかけた時、たまたま校内を巡視していた先生に見つけてもらい何とか助けてもらいました。

家に帰れば姉を失ってしまった父からの激しい暴言や暴力。

学校へ行けば激しいいじめ。

気を休める場所などなかった私はついにある日、家庭科の調理実習で試食する予定だった食事をみんなの前で吐いてしまいます。

その日は家庭科の先生と担任が話をし、調子が悪いんだったら帰りなさいということで家へ帰してもらいましたが、その日から私はなかなか学校へも行くことができなくなってしまったのです。

人生の転機

目の見えない女性との出会い

しばらく学校を休み近所をぶらぶらとしていた私でしたが、ここで大きな人生の転機に出会います。

一人の女性が私に道を聞いてきたのです。

普通にそこまでの道順を教えて離れるつもりでしたが、その女性は私に言いました。

「私は全く目が見えないから、そこまで道案内させてくれる大人の人を探してほしい。」

しかし、誰も信用できなかった私は自分がその人を目的地に連れていくことにしたのです。

朗らかな女性。人生の見方が変わる。

ですが目の見えない人に接するのが初めてだった私はどう接したらいいのか分からずまごまごしていました。

するとその女性はその気配を感じ取ったのか、目の見えない人への対応の仕方や目が見えないことのメリットやデメリットなどをとても楽しそうに話してくれたのです。

「目が見えない」ことまでも魅力にし、素敵に笑うその人を見て、私はハンディを持っている人たちの支えになるような仕事がしたいと話しました。

するとその人は、
「いつかまた会えるといいわね。でもそういった勉強をするためにはちゃんと学校へ行かなきゃだめよ」
と言ってくださったのです。

最初はなぜ私が学生だと分かったのか不思議に思ったのですが、どうやら声や話の聞き方、話し方で私が不登校に陥っていることまで分かったようです。

いじめ?父親?気にするもんか!

目的ができた。突き動かされる。

目的が見つかればいじめなんて気にしているわけにはいきません。

福祉の仕事か保健室の先生になるという夢をもって、高校へも大学へも行かせないという父を祖母から説得してもらい、自分が目指した高校へ進学しました。

その学校は福祉の部活に熱心に取り組んでいる先生がいて、自分もその部活に入って勉強したいと思ったのです。

姉が高校へ入っていない分、家での父から私と母への風当たりはますます強くなりました。

平手打ちで鼓膜を破られたのも数えきれないほどです。暴言も絶えません。

しかし高校では幸いひどいいじめはなくなり、学校特に部活動をしている時は自分らしく過ごせるようになりました。

学校での勉強や部活の傍ら、手話講座を学びにいったり点字を勉強したりと福祉活動も盛んに行いました。

介護福祉士の道。脱・実家。

そうするうちに進学の時期が迫ります。

大学へ入ってもっと福祉について勉強し、それから社会に出ていきたいと希望した私でしたが、父は、姉すら行っていない大学へは絶対に行かせない!と、暴力や暴言がますますひどくなりました。

そんな状態では、大学へ進学することは到底できそうもなかったので、当時注目を浴びていた介護福祉士になることに決め、その専門学校へ進学しました。

当時介護福祉士の制度はまだできたばかりで、どの施設でも欲しい人材だったため、何年間か働くことを条件に奨学金を出してくれる施設がたくさんありました。

その中でも、あえて家を出ることができるように、そして父が追いかけてこられないように、実家からかなり離れた場所にある施設を選択しました。

就職。地元へ帰る。しかし…

介護福祉士の専門学校卒業後はその施設で5年働きました。

もうその頃には「帰っても大丈夫だろう」と、地元の近くの障害者施設で5年、さらに地元に戻ってディサービスの職員として働きました。

仕事をしている間はほとんどいじめにも遭うことはありませんでしたし、天職だと思い仕事をしていたのですが、このディサービスでの仕事で人生がまた狂っていきます。

ディサービスで楽しく働いていた私に、利用者さんが、「自分の孫を紹介するから友達になってほしい」と声をかけてきたのです。

当時は仕事が楽しくて仕方のない時期で、結婚なんて考えてもいなかったので軽い気持ちで会ってみることにしました。

いざ会ってみると大人しくて優しそうな人だったのでどんどん惹かれていき、順調にお付き合いをして、結婚することとなります。

しかしほとんどいじめもなく楽しく過ごしていた幸せな時間は、結婚とともに見えない所で崩れ始めていたのです…。

ここまでの更新:

横暴な父からの暴力、虐待、ネグレクト。母の苦悩。|第1回・DV父とモラハラ夫

学生時代の壮絶ないじめ…でも目の見えない女性と出会うことで変わり、福祉の世界へ。|第2回・DV父とモラハラ夫

介護福祉士として楽しく働く日々、結婚…そして始まった「言葉の暴力」|第3回・DV父とモラハラ夫

「父を許さない」選択。一生残る心の傷。それでも支えてくれる人々と前へ向かって進んでいく。|最終回・DV父とモラハラ夫

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