介護福祉士として楽しく働く日々、結婚…そして始まった「言葉の暴力」|第3回・DV父とモラハラ夫

介護福祉士として楽しく働く日々、結婚…そして始まった「言葉の暴力」|第3回・DV父とモラハラ夫

先週から連載している『DV父とモラハラ夫』。

第3回となる今回は、ライターの成田玲美さんの夫、そして姑からのモラルハラスメントとの戦いを描いていきます。

出会い…結婚、そして

仕事を始めてからの私と母

介護福祉士として仕事を始めてからは、父とは離れ全く関わりがなくなりました。

父から話すため、私が家を離れるのと同時に一緒に連れて行った母も、徐々に精神状態は安定しはじめました。

少しずつ私と外出したりする時間も増え、外とのつながりも少しずつできてきました。

私が結婚するのを機に、父親に離婚届を目の前で押印するよう説得し、離婚させてからの母は今までの分も取り返すかのように自分らしく生きるようになりました。

私も職場内ではいじめもほとんどなく、楽しく仕事をしていました。そんなある日、勤務していたディサービスの利用者から自分の孫と友達になってくれないかと紹介されます。

結婚!しかし夫の正体は…

しばらくお付き合いをして悪い人ではなかったので、仕事を続けることを前提に結婚することになりました。

介護の仕事は土日祝日関係のない仕事。彼はカレンダー通りの休みの人。

仕事で私が遅くなると彼はご飯を作って待っていてくれる…のではなく、なぜか玄関先に布団を敷いて寝ながら私を待っていることもありました。

この段階で私には手に負えないほどの寂しがり屋だということに気が付けばよかったのですが、それに気が付いた時にはすでに遅く、おなかの中に第一子が宿っていました。

つわりもだんだん激しくなり、体調不良で私が休むことで会社に迷惑が掛かってしまうため、仕事を辞め専業主婦へ。

「子どもが生まれると変わる旦那さん多いから気を付けて」とママ友達に言われていましたが、うちもまさにそのタイプでした。

モラルハラスメントの嵐

つわりがひどくてトイレやお風呂の掃除ができていないと文句や説教が待っています。言い訳すると「俺の言うことが聞けないのか!」と怒鳴ったりするようになりました。

仕事や自分の実家で面白くないことがあると私や子供に八つ当たりしてきます。今でいうモラルハラスメントです。

私が結婚の時に「暴力を振るったときは耐えきれないから離婚する」と言っていたので今でも暴力は振るいませんがその分の罵詈雑言は遠慮なく飛んできます。

子どもが生まれてからモラハラはますますひどくなり、産後で思うように動けない私に「人間失格」「母親失格」などと罵るようになりました。

子供が増えるたび育児や家事で私の仕事量は増加します。

それでも体を労わってくれるどころか、できない部分を人前で怒鳴り散らし、説教するようになりました。

理由を説明すれば
「やりたくないからやらないんだろう、もうしなくていい」
などと言い、調子が良くないから病院へ行きたいと訴えれば
「病院へ行くお金はどこから出るんだ」
と言われ、しまいには
「俺の方がもっと具合が悪くても病院には行ってない」
というので、気軽に病院へ行くことすらできません。

様子を見て本当に動けなさそうなときは外食を買って帰ってきたりもしますが、そうでなければ「やりたくないだけだろう」などと吐き捨てられ、何も手伝ってはくれないので自分で動くしかありませんでした。

追い打ちをかける姑

旦那のことだけでも泣きたいくらい辛かった私にさらに追い打ちをかけたのは姑です。

毎日のように家に電話をかけてきて私が家にいるかどうかの確認をします。

そのうえで私がちょっとでも出かけていたりすると、どこに何をしに行ったのかしつこく聞いてくるのです。

ひどいときには姑に「ちょっとPTAの用事で学校へ行ってくる」と嘘をついたら、学校にまでいるかどうか電話していたこともありました。

旦那から私の愚痴を聞けば、私に電話で延々と説教、それで家事ができないために旦那からまた説教。

私が母親に適していないと勝手に決め、母親代わりと称して子供たちに自分のやり方を押し付けることもあり、子供たちもあまり姑のことはよく思っていません。

それでも私が人に嫌な思いを抱くものではないと言っているので、直接会う時はそれなりに笑顔で接してくれています。

うつの発症

なぜ生きているんだろう…

そういう日々を繰り返しているうちに、何が楽しくて生きているんだろうと思うようになり、常に死にたいという思いが付きまとうようになりました。

電車や車が来ると飛び込んで見たい衝動に駆られたり、悲しいことがなくても涙が止まらなくなったりするようになったのです。

子供たちだけは守らなければ

小さいころから私のそういうところを見て育ってきてしまった子供たち。

でも子供たちの心だけは自分の母がしてくれたように自分でできるだけでも守らないといけない。そう思って必死に子供たちには
「人にやられて嫌だと思うことは自分もやってはいけない」
「ありがとう、ごめんなさいを素直に言えるようになってほしい」
と小さいうちからずっと言ってきました。

そしてお母さんが病気でなかなか思うように動けないこともすべて話していきました。

すると、私の調子が悪いときは子供たちが自分で動いてくれるようになったのです。

しかし、まだ子供ですから思うようにいかなかったりいらいらしてけんかしたりしてしまうこともあります。すると目の前でけんかを見ているのが苦しくなって、目の前にある柱に頭をぶつけて自分の心の辛さをごまかそうとしてしまう癖が出てきてしまいます。

そういった私の癖も子供たちは子供たちなりに受け止めてくれたのには感謝してもしきれません。

母と子供たちの力を借りて

可愛いはずの子供にまで迷惑をかけている自分が情けなくなり母に相談。

母は病院へ行くお金は出してあげるからまず病院へ行って治療すること。そして自分が安心して相談できるような場所を作るように言ってくれました。

そこでまずは児童相談所に相談に行き、母親である自分が子供の前で自傷行為をしたり、ひどく興奮状態になったりしてしまう姿を見せることは虐待に当たらないかなどを第三者の目線で相談に乗ってもらいました。

心療内科の先生からはPTSDなどからくるうつ病と診断され、今でも通院、投薬治療を続けています。

今でも続いている毎日の辛い状況を、今では私の状況を一番よく知っている子供たちが手助けしてくれるようになり、その力も借りています。

ネットからの支えの手

また、リアルな人間関係も大切ですが、私にとって幸せだったのはネットという環境に出会えたことです。

4人目の子供が生まれたころ育児相談などで仲良くなったママ友さんたちが個人のホームページを作ったり、SNSなどで自分を発信したりしているのを見て楽しそうだなと思ったのがきっかけで、自分でも始めてみたのです。

心療内科に行っても、ネットの世界でも、感じたのは「悩んでいるのは自分だけではなかった」ということ。

どうして自分だけがこんなに苦しいんだろうと思って今まで過ごしてきたのに、「世の中には自分より苦しんでいる人もたくさんいるんだ、」そう分かったとき、自分と同じような思いをしている人に自分を発信したら何かの支えになれるかもしれないと感じました。

もともと介護の仕事で自分がしたことで相手が笑顔になるのがうれしいと思える自分だったため、SNSで言葉を発信し、その言葉で誰かが笑顔になれたと聞くとうれしくて仕方ありません。

ネットを始めてすでに10年が過ぎていますが、ネットから始まる友情も支えあうことができるんだと感じています。

結婚20年…姑は介護が必要な状態に

結婚してそろそろ20年。今まで何かと私の育児や家事に口うるさくいってきた姑が介護が必要な状況になりました。

姑の介護をするようになってから、自分の母親の面倒を見てもらっているという思いもあるのか旦那のモラルハラスメントはいくらか下火にはなってきました。

それでもちょっと気を許すとすぐ説教や暴言が待ち構えています。

今でも精神状態ぎりぎりのところを保っている状態ですが、リアルやネットの友達や子供たちの力を借りつつなるべく笑顔で過ごそうと頑張っている毎日が続いています。

ここまでの更新:

横暴な父からの暴力、虐待、ネグレクト。母の苦悩。|第1回・DV父とモラハラ夫

学生時代の壮絶ないじめ…でも目の見えない女性と出会うことで変わり、福祉の世界へ。|第2回・DV父とモラハラ夫

介護福祉士として楽しく働く日々、結婚…そして始まった「言葉の暴力」|第3回・DV父とモラハラ夫

「父を許さない」選択。一生残る心の傷。それでも支えてくれる人々と前へ向かって進んでいく。|最終回・DV父とモラハラ夫

DV父とモラハラ夫カテゴリの最新記事