外に出るのが怖い。発達障害と社会的ひきこもり|第九回・発達障害を考える

外に出るのが怖い。発達障害と社会的ひきこもり|第九回・発達障害を考える

ああ、今日は病院に通う日である。もうすでにダウナー症状で一回予約をすっぽかしているから、今日こそは病院に行かなければならない。だがしかし、である。病院のために外に出るのが怖い。自分の生活圏から出たくない。

今回は、そんな氷野のような「社会的ひきこもり」に関する話題である。

発達障害と社会的ひきこもり

社会的ひきこもりとは

京都府によると、社会的ひきこもりとは、「自宅に引きこもって学校や仕事に行かず、家族以外との親密な対人関係がない状態が6ヶ月以上続いている状態」のことを言うそうだ。

〈社会的ひきこもり〉社会的ひきこもりQ&A(心の健康について)[京都府精神保健福祉総合センター]

うーん、まったくもって氷野のことを言っているようだ。

氷野は2018年の10月に失業して自宅療養を始めてから、病院やコンビニ、スーパーに行く以外でほとんど外出をしなかった。

対人関係に関しても、ゲーム配信で知り合ったごくわずかな友人と細々とした友人関係を続けてきたが、ここ一ヶ月くらいはその関係も疎遠なものになり、当時連絡を取っていたうちの、たった一人としか親しくしていない。リアルの友人といえば高校以来の友人ひとりとしか連絡を取っておらず、あとは冠婚葬祭の時に顔を合わせる程度にとどまっている。

これはまさに、社会的ひきこもりといえるのではなかろうか。

発達障害と社会的ひきこもりの関係

そんな社会的ひきこもりについて調べている時に、面白い論文を見つけた。以下がそのURLだ。

ひきこもりと発達障害

氷野が興味を惹かれたのは、発達障害と社会的ひきこもりの因果関係についての記述である。以下はひきこもりの人の特徴を述べた部分の要旨である。

1. コミュニケーションが未熟

幼少期から、社会性が低く、人との会話が未熟であり、特に同世代の人が多くいる場では不安や緊張を強く感じ、自分をうまく表現できずに不適応に陥りやすい。また、自分の気持ちや考えをうまく言語化することができない。

2. セルフコントロールが未熟

感情のコントロールが未熟であり、些細なことで気分が不安定になって落ち込んだり無気力になったり不機嫌になったりしやすい。

3. 幼少期から発達障害を有する率が高い

なんらかの学習障害や認知障害を有することが少なくなく、そのことが学校で学業不振に陥ったり、職場で業績不振に陥ったりする原因になる。また、物事を正しく見ることができず、考え方に歪みが見られることがある。

4. 自己管理ができない

睡眠や食事、その他の生活習慣などを自己管理することができず、ライフスタイルが乱れていることがある。そのため、規則正しい生活を維持することに困難が生じることがある。また、成人後も金銭や仕事の書類、私物などをきちんと整理して管理することが苦手である。

5. 自己否定的である

思春期以降に自尊感情が低下しがちで、自分に対する見方が否定的になり、周囲からの評価に対し非常に過敏で、劣等感や被害感情を抱きやすい傾向にある。

6. 依存しやすい

衝動性や欲望のコントロールが苦手である傾向にある。そのため暴言や暴力をふるったり、ゲームやスマホなどの世界にのめり込みがちである。成人してからは、さまざまな依存症を発症しやすい。

7. 長期間にわたる計画が苦手

青年期の重要な発達課題である、人生目標の設定や職業選択をすることや、それにむけて長期計画を立てコツコツと実行することが苦手である。興味関心のあることにはのめりこみやすい一方で、興味関心のないことには無気力で飽きっぽい傾向にある。

8. 客観的に自分を見ることが苦手

自分を客観視する認知能力が未熟であり、そのため自分の将来について現実的に考えることができず、将来の夢を抱いても空想的であったり自己愛的である。

9. 不安が強く心配性

非常に不安を強く感じ、心配性であるため、失敗や挫折への恐怖が強い。自分が傷付きやすい場面を避けがちで、失敗しそうな状況には立ち入ろうとせず、逃避しようとする。また、不得手なことは先延ばしにする傾向にある。

……全ての項目に見事当てはまって、どうしようかと思案を巡らせているところだ。

依存については先日記事を書いたのでそちらも併せて読んでみてほしい。

顔面が痙攣してもやめられない…発達障害と依存症の関係|第八回・発達障害を考える – ココロメンテ.com

「見逃されがちである」という問題

論文では、大人の発達障害について『本人にも周囲の人にも「気づかれにくく、見え ない障害」である』とも指摘している。

こちらの記事でも書いたのだが、多動性のないADHDは成績が並以上であることが多々あり、学校教育や家庭の中で見逃されやすい。

学校教育の中で発見されなかったADHD|第二回・発達障害を考える – ココロメンテ.com

幼少期に発達障害を見逃されて大人になると、もう「自己責任」という足かせをはめられて、発達障害の人自身も周囲の人も、「やればできるのにやっていないだけ」という色眼鏡で見られてしまうのが問題なのだ。

だが、一見他の人でも持ち得る欠点を寄せ集めたのが発達障害である。他の人がそうした欠点をひとつふたつ持っているところを、発達障害の人は10個や20個、なんなら際限なく持っているのが問題の発端であり原因なのである。

論文で筆者が指摘している言葉をそのまま引用すると、

…ADHD の症状…はどこにでも誰にでもありそうな問題であるが、それらがまとまった症状群として1人の人間に併存すると、学校や職場に適応せず、最悪の場合は家庭での生活も困難になってしまう

ということを言いたいのである。

そのような困難が積み重なっていくと、外に出たくない、外の世界に出るのが怖い、という社会的ひきこもりが生まれるのだろう。

社会的ひきこもりを脱却するために

次のリンクは、そのようにしてひきこもった人が、社会に復帰した例である。

「発達障害」の29歳が引きこもりを脱せた理由 | 私たちは生きづらさを抱えているt

そのなかでハッとさせられたのが、おしゃれをすることを推奨するスタイリストの方の言葉だ。

幸せに感じたところから自己受容が起こり、自己肯定感が高まって、自己開示につながり、そしてお相手のために自己表現をすることで他者とつながっていくので、結果的に“就労”という形になるんです。自己受容が始まる前段階で、無理やり就職をしても長続きすることはかなり難しいと感じています。

たしかに氷野も、伴侶の勧めもあり、一ヶ月に一回は美容院に行くようにしている。

伴侶は髪型を変えてはしゃぐ氷野にいつも言う。「やっぱり髪型がキマってないと外に出る気も失せるからね。元気とオシャレは髪の毛からだよ、」と。

言っている内容こそ違うが、根本はふたりとも同じことを言っているように思う。

生きる原動力はなんでもいいが、そのアイディアのひとつとして、身なりを整えることがある。それをすることで、いつ人前に出ても恥ずかしくない自分になり、気持ちがひきこもりではなくなるのだ、と言われているようだ。

氷野は根がズボラでお洒落に無頓着であるが、最近はせっかく髪型を格好良くしてもらったんだから、と、美容に気を使い始めた。といっても少々であるが。少々な。

これも脱ひきこもりの第一歩なのだとしたら、心強い限りである。

「服は女の戦闘服」ではないが、今日の病院、きちんと通院しようと思い直した次第である。

それではまた次回お目にかかる。

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