発達障害者が生きづらいのは現代社会だけかも?|第十二回・発達障害を考える

発達障害者が生きづらいのは現代社会だけかも?|第十二回・発達障害を考える

氷野が常々思っているのは、

「時代が違っていたらもっと働きやすかったのかなあ」

「自分をもっとうまく使ってくれる人がいたら活躍できたかなあ」

ということである。

歴史から見る発達障害

村田蔵六(大村益次郎)に見る発達障害

たとえば、こちらの論文では「維新の十傑」として名高い大村益次郎(村田蔵六)を例に挙げて、次のように述べている。

司馬遼太郎著「花神」にみる発達障害

蔵六はコミュニケーション能力や共感性に欠け、社会性にある種の欠落したところがあることが想像できるが、こういった蔵六の特徴は,精神医学的にはまさしく「発達障害」の症候に合致する。

蔵六は村医者として流行らないばかりか、のちに官軍の司令官 となってからも「参謀局やそのまわりで蔵六の評判はきわめて悪かった」のであるが、本人に全く悪意はなかった。

発達障害を裏付ける傍証はほかにもあって、二年かけても 馬に乗れるようにならなかったほど無器用だったこと(粗大運動の障害)、書生の頃か ら晩酌は銚子二本に豆腐一丁と決まっており、客を迎えてもそれを変えなかったこと(こだわりの強さ)、高官となってからも軍服を含む洋服や靴は一切着用せず、賤士のはく半袴をつけて平然としていたこと(こだわりの強さ・肌の感覚過敏の疑い・社会性欠如)など枚挙にいとまがない。

しかしこうした評判の悪さをはねのけ、かの桂小五郎に見出された大村は、長州藩の軍事責任者となり、戊辰戦争で官軍を勝利に導いていく。

ことわざに、「千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」という言葉がある。

優秀な人物はいつの世の中にもいるものだが、その能力を見出す優れた眼を持つ人物はなかなかいないことの例えであるが、かつてその発達障害的特性から鼻つまみ者とされていた大村は実は「千里を走る名馬」であり、その大村を見出した桂は「名馬を見出し育て上げた伯楽(人の能力を見出す能力を持った人)」だったと言えるだろう。

落語の与太郎噺に見る発達障害

また、こちらは落語の「与太郎噺」を例に挙げて、発達障害的特性を見出している。

与太郎【落語の定番キャラ】は発達障害・ADHD|のび太との共通点も

例えば『孝行糖』では、与太郎の親孝行が奉行所に評価されお金をもらうところから話がスタート。

与太郎自身は商売人ではなく、積極性を持たないキャラ。しかし周囲の人が、「せっかく頂戴したお金なんだから、これを元手に商売を始めたらどうか?」と助言をします。

「親孝行でもらったお金だから」というわけで、孝行糖という名前のつけられた飴を売ることになる与太郎。

キャッチコピーは「食べさせると子供がたちまち親孝行に」です。

真面目な与太郎は、毎日、孝行糖を売り歩き、バカ売れするというお話。

ここまではつまづきがないものの、オチのところで大きな失敗をしてしまう与太郎。

どんなオチなのかは、本編を確認してもらうとして、『孝行糖』でも与太郎は周囲に巻き込まれて動いているように映ります。

こういった主体性のなさも「どう動いていいのかわからない」という発達障害者の特性と見ることができるでしょう。

他にも筆者は別の落語も引き合いに出し、落語の中で発達障害を持っていると思しき人物が面白おかしい事件を引き起こしていく様を紹介している。

『子ほめ』という落語に出てくる八五郎は、お酒が大好き。与太郎よりもやや活発ですが、行動は与太郎そのもの。

親しくしている隠居から「丁寧な言葉を使いなさい。相手を上手くおだてればお酒をおごってもらえるぞ」と助言されます。

理解していないのに理解したと錯覚し、いてもたってもいられない八五郎はADHD的。

「お酒をおごってもらえる魔法の手法を習得した」と思うと、もう行動せずにはいられないのです。

意気揚々と街へ繰り出すものの、そこから失敗の連続。

あまりの滑稽さに笑いが起こるという仕組み。

「酒を飲みたい」といった欲にかられて動き出し、失敗する浅はかさは、ぼうっとした感じが強い与太郎とは少し異なりますね。

落語の中で発達障害は嘲笑される対象ではない。彼らはさまざまな欠点を持ちながらも、周囲の人々の人情に助けられ、どうにかこうにか仕事をしたり、趣味を楽しんだり、面白おかしく生きているのだ。

時代が今ほど忙しくなかった頃には、発達障害を持つ人が多少なにかにもたついたりつまづいて後戻りしたりすることは至極普通に受け入れられていたのかもしれない。

とかく生きづらい「現代社会」

マルチタスクは心身を蝕むという研究結果

こちらの記事では、「現代の子どもにとって、マルチタスクはごく自然なものであり、日常生活の一部になりつつある」としつつも、マルチタスクが心身、特に脳に及ぼすあらゆる悪影響について紹介している。

マルチタスクによって生じる精神的・身体的問題がさまざまな研究から判明 – GIGAZINE

氷野が思うに、現代社会は「マルチタスク至上主義」であると思う。なにかをしながら別のなにかを同時並行で行えることが「すごいこと」ともてはやされ、少なくともふたつやみっつのことは同時に行えないと「変」とみなされる。

だが、氷野にとってまっすぐ歩きながら周囲の人の流れに気を配るという至極原始的なマルチタスクですら、非常な困難を伴う。それは「変」であるとみなされ、「いいから『普通』に『ちゃんと』して!」と言われる始末である。

だが、「普通」とは一体なんなのだろうか。『ちゃんとする』とは一体なにをどうしていることなのだろうか。

発達障害は「現代病」?

そうした氷野の疑問に対して、こちらの対談記事で興味深い解答を発見した。『されど愛おしきお妻様』の著者・鈴木大介氏と、『発達障害は最強の武器である』の著者・成毛眞氏の対談である。

「発達障害」は脳科学が発達するかマクロ経済が安定すればなくなる?(鈴木 大介,成毛 眞) @gendai_biz

成毛:あとは、もう少し脳科学が発達すると変わってくると思いますよ。脳科学がガッツリ発達したら、障害ではなく、単なる個性、気質性の問題になると思います。逆にこれまで普通に生きているクリエイティビティのない人のことを、非クリエイティビティ障害って言うとか。

鈴木:僕それだ(笑)。でも、そこまで認識が進んだら、確かに楽だろうな……。

成毛:マニュアル通りでありきたりの発想しかできない人を非クリエイティビティ障害とすると、もうひとつは不感性障害とか……。

鈴木:感情が平坦すぎる?

成毛:そうそう。最先端技術をみてもワクワクできない人。かわいそうになっちゃうね「あの人非クリエイティビティ障害と不感性障害をもってるのね」とかって。

鈴木:「落ち着いた冷静なあの人」じゃなくなる!

成毛:ほかにも過集中ができない人は「過集中不全障害」とか(笑)。

鈴木:すごいキラーワードが出ましたね。脳科学が徹底的に進むと発達障害は障害じゃなくなってくるって。ノーマルの人たちがノーマル障害っていう。そうなったら確かにいいだろうな……。社会が究極に寛容になると、尖っていることが普通。その世界は、見てみたいです。

両氏は「現代で『普通』とされていることが『変』になる時代が来るかも」と言っているのだ。

このことは衝撃的でありつつ、同時に、氷野にいくばくかの希望的観測をもたらした。

現代日本では、人格や特性というのは「まん丸」であることが美徳とされる。その証拠に、人格や特性が「尖っている」ことは「普通」ではなく、「足りない」ことは「直さなければならない欠点」とされている。

そうした人格や特性の「デコボコ」が、「一般常識」になる世界。

来るといいなあ、そんな時代。

発達障害者が現代社会で活躍するということ

もちろん、現代社会でも発達障害的特性を持ちながら活躍している人はたくさんいる。プロゲーマーの「世界のウメハラ」もその中のひとりだ。

好きなことや興味の引かれることしかできないが、そう言ったものに対しては尋常ではない集中力や行動力を発揮することのできる「発達障害」。

「普通」という常識の中にいないからこそできることがあるのだと思うと、未来はちょっとだけ明るく見える。

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