愛着問題と人格の乖離について。氷野の場合|第14回・精神疾患を考える

愛着問題と人格の乖離について。氷野の場合|第14回・精神疾患を考える

少し…以前から思う所があったのだが、今ようやくことばにできそうなので、筆を執ってみることにした。

見ないようにしてきた「自分」

思えば、私こと氷野はこのブログを通して、あまり自分自身のことについて語ってこなかった。

自信が無かったのだろう。私というものを全面に出すことで、ブログの本旨がぶれるのではないか、という危惧もあった。

だが、自分について書いてみたい、と、純粋に思った。

自分について知りたい、という思いもある。

昔から、書くことは、自分を知ることの一助になってきた。だから、本記事を書くことで、自分を知りたい、と思ったのである。

主な症状

…とまあ、能書きはいいので、診断された症状をざっと書き連ねてみよう。

・ADHD
・ASD
・うつ
・不眠
・自律神経失調症
・パニック障害
・社交不安障害
・適応障害
・境界性パーソナリティ障害
・愛着障害
・解離性障害

発達障害を持つ、ということ

このうちの、ADHD・ASDは私の場合、深刻な病状…というよりは、思考や行動のクセを端的に言い表したラベル、だと思っている。

私という人間を言い表すならばどういう人間?と聞かれた時に、そういう特徴のある人間です、と紹介する、自己紹介のようなものだ。

もちろん、ADHD・ASDであることによってたくさんの弊害は生じているが、訓練によって乗り越えることができると信じて止まない。

それは、本ブログ創始以来、「発達障害を考える」というカテゴリーで云々かんぬんしてきたおかげでそう思えるようになったからだ。

このカテゴリーではメカニズムについて着目してきたため、発達障害を生きることについてはあまり議論してこなかったが、これからはそういうことも議論していけたら…と思う次第である。

二次障害としてのうつなどについて

また、うつ・不眠・自律神経失調症・パニック障害・社交不安障害・適応障害については、私という人間の持つ人間性のほんのオマケだと思っている。

もちろん、これらのことによって苦しめられることは多い。だが、それが私の本質か、と問われたら、「NO」というのが私の答えだ。

あくまでもこれは何かの根源があって、それの末端の身体症状として現れているものだと感じているからだ。

であるからして、これらの症状についても、本記事で議論するのは趣旨に沿っていないと思うので割愛する。

愛着の問題について

境界性パーソナリティ障害と愛着障害…ここから先は、自分の深い所に踏み込んでいくような心持ちがして、言葉にするのが非常に不安になる所である。

その居心地の悪さこそ、自分の核に近付いているという証なのだろう。頑張れ自分。

愛着の問題は、正直、感情がすっぽりと抜け落ちている、というのが正直な所だ。

すっぽり…いや、ぽっかりと、空虚な穴が心や頭に空いているようで、がらんどうなのだ。

たくさん悩み、苦しみ、吐き出し、ぶつけ、殴りつけ、メタメタにして、燃え尽きて、今がある。だから、がらんどうになってしまった、というのが正しい表現なのかも知れない。

問題の「ない」家庭に育った自分

愛着の問題、といえば、家庭環境、とくるのが相場であろう。

だが私の家庭は、涙が出てくるくらい、模範的な「良い家庭」だった。

仲むつまじく、品行方正で、社会に後ろめたいことはなにもなく、たくさんの会話をし、問題があればみんなで解決の糸口を探し、みんなの幸せを喜び合い、悲しみを分かち合う…そんな実家だった。

素晴らしすぎて、口にするにもおぞましい、と感じるほどだ。

友人らは口をそろえて、「氷野の家族が羨ましい」と言った。

私はそのたび、「取り替えられるものなら熨斗を付けてあげたいくらいだよ」と答えていた。

あまりにも「正しさ」のど真ん中を行く私の実家は、「正しくなさ」について、あまりに無理解だった。そしてそのことが、私を「矯正」していくことになる。

角を矯めて牛を殺す

「角を矯(た)めて牛を殺す」ということわざを知っているだろうか。

小さな間違いを正そうとして、かえって物事を悪い方向へ持って行ってしまう、という意味のことわざだ。

まさに、幼い頃から家を遁走するまでの私に当てはまることわざであった。

悪夢にうなされた幼少期

「角を矯めて牛を殺す」の話の前に、少し思い出話をしよう。私の幼少期の記憶についてだ。

一番古い記憶は、悪夢であった。

こどもであればよく見る悪夢だったのかも知れない。

それは、家族から忘れ去られて見知らぬ土地に置いてけぼりにされる、というものであった。

それは、父や母や兄が、その都度、残忍な方法で殺害される、というものであった。

それは、おびただしい数の虫が部屋を埋め尽くし、私の身体を貪り尽くす、というものであった。

それらの夢から醒めた時、カッチ、コッチ、と部屋に鳴り響く時計の音がいやに耳について離れなかった。

時には号泣して自分の叫び声で飛び起きることもあった。

だが、私は一人部屋を与えられていて、家の中は寝静まっていた。

母や父の部屋からもすうすうと寝息が聞こえるだけで、か細い声で呼びかけても、応答があったことは一度も無かった。

母の腕の中で眠りたかった。父に頭をなでられたかった。兄に、何泣いてんだ、と笑い飛ばしてもらいたかった。だがその思いが叶ったことは一度も無かった。

怒りを浴びせかけられた記憶

ある時、兄と私は宿題を忘れて漫画雑誌を読み耽っていた。

その漫画雑誌はいつ発行されたのかもわからないくらい古いもので、家にたった2冊しかない、私の大好きな読み物だった。

しかし帰宅した母は宿題をおろそかにして漫画雑誌を読んでいたことに激怒して、その漫画雑誌を真っ二つに引き裂いてゴミにしてしまった。

その時の兄の顔も、母の顔も、何を言われたのかも覚えていない。

しかし真っ二つに破り捨てられる漫画雑誌だけは、記憶の中に深く深く刻まれて今もまざまざと思い起こされる。

兄の反抗期

しばらくすると、年が離れた兄は私が幼いうちに反抗期に突入した。

それはもう苛烈なもので(世間一般からしたらかわいいものなのかもしれないが)、兄は荒れに荒れた。

そんな中、母と兄と私の三人で夕飯を前にしながら、母と兄とで大げんかに発展したことがあった。幼い私は、大声で怒鳴り合う二人の声を聞きながら、「やめてよぅ、ご飯食べようよぅ、」と泣きじゃくっていたのをよく覚えている。

その頃から、他人の「怒り」の感情が過剰なまでに苦手になった、と記憶している。

兄の反抗期はだいぶ長いこと続いて、私が中学に上がったころも反抗期のただ中にあった。服装も乱れ、夜遊びに出、その頃同居していた祖父との対立も激しかった。

そんな兄を見て、母や祖父母などは、
「零はあんな風じゃなくていいね」
「零は良い子だね」
「零は出来がいいね」
と私のことを褒めるようになった。

だが、「良い子だね」「手がかからないね」と言われるたび、真綿で首を締められるような思いがしたのもまた事実であった。

見えない「正解」を追い求めた学生時代

その頃から、私は「良い子でいなければいけない」という強迫観念につきまとわれるようになった。「角を矯めて牛を殺す」の静かな始まりであった。

趣味と実益がかみ合ったことも不幸だった。

勉強するのが正解だから勉強をしたが、同時に勉強が好きであったから勉強をしていた。

おしゃれをするのはチャラチャラしていて推奨されないが、同時におしゃれに興味がなかったからおしゃれをすることはしなかった。

友達と遊ぶのは許された時間だけであったが、同時に人付き合いが苦手であったから遊ぶ時間が限られていてもさほど苦に感じなかった。

そうした細かいことが積み上がっていって、私はいつのまにか家でも学校でも「優等生」になっていた。

「良い子でいなければいけないからそうしたのだ」
と言えば、
「でも好きでやってるんでしょ?」
と返ってきて、
「あ、確かにそうだ」
と納得してしまう自分もいた。

自分が望んだからそうしたのか、それとも強迫観念に駆られたからそうしたのかの区別が付かない状態になっていったのだ。

それは徐々に「私」という人間を分裂させるようになっていった。

自分と「自分」の乖離

確かに受けていたはずのストレス。しかしそれは実家の弁の中で「私が望んでしたこと」にすり替えられていった。

どこからが私の望んだことで、どこからがストレスから逃れるための回避行動として行ったことなのかがわからなくなっていった。

高校の頃には、明るく朗らかで人当たりのいいにこやかな自分と、破壊衝動が抑えられず触れるもの全てを傷つける自分とが「私」の中に同居していた。

笑顔を見せたその直後に鞄を殴り飛ばし机を蹴倒し壁を殴りつけるような行動を取っていたのはクレイジーだったと今でも思うし、その頃迷惑をかけた友人らには謝ることしかできないと思っている。

また、3歳児のような行動を取る、知能の遅れた自分や、幼少期の悪夢をフラッシュバックして尋常でない恐怖に怯える自分、一切の感情がなくなり、岩のように押し黙って思考も感情も停止した冷徹な自分も出現するようになった。

小学校に上がる頃から感じていた性自認の違和感もこの頃最高潮に達していて、私はまったくの混沌の中にいたのだ。(性自認の話もするとややこしい話がさらにややこしくなるのでここではいったん置いておくことにする。)

そんな混沌のさなかにあっても、先生と呼ばれる生き物がいる場ではそれなりの優等生の役割を果たす自分もいて、表立って問題になることが無かったのはいささか皮肉的でもあった。

お粗末な結末

たくさんの「自分」がいながら、確固たる「自己」が無いという矛盾は、空白の大学生活と苦痛に満ちた就職活動を経て、突然実家から行方をくらませる、という突拍子もない形で爆発することになる。

そうして社会の中で様々な二次障害を暴発し、病院送りになり、数年の時をかけてようやく、自分の病状を知ることになるのであった。

時は飛躍して、現在

今これを書いているのは、人格の乖離について、気付かされるできごとがつい昨日今日であったからなのだ。

だいぶ回り道をしたようで、ここに書いたことが人格の乖離を引き起こした原因のひとつひとつでもあるようで。

これらのことはただ私が拘泥しているだけなのか、それとも客観的に見ても解決するべき・解きほぐすべきしこりなのかが判然としないのだが、とにもかくにも、ここに書いたことは間違いなく心の中に澱として沈殿して濾過されることのない、こびりついて離れない「なにがしか」であることは間違いがない。

正直、人格の乖離について論じてみようと思って書き始めた今回の記事だったのだが、それが成功したようには思えない。むしろ、私の人格の乖離については私はまだまったく理解が進んでいないことが明らかになっただけであった。

でも、それでもいいよ、と言ってくれる人がいるので、それはそれでいいことにしようと思う。

まだまだ語り切れていないこともあるが、それはまた今度の機会を設けることにする。

ここまで自分語りにお付き合いいただき、感謝の念にたえない。

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