70点以下は全部赤点…高学歴だけど勉強不足…そんな家庭は異常なのか?正常なのか?氷野の場合|第15回・精神疾患を考える

70点以下は全部赤点…高学歴だけど勉強不足…そんな家庭は異常なのか?正常なのか?氷野の場合|第15回・精神疾患を考える

前回に引き続き、自分探しの記事作成、というものをしていこうと思う。

今回は、昨日家人と話していて「そりゃあ性格もひん曲がるよ」と言われたことについて書いていく。

テーマは、「テストの点数」だ。

「勉強ができる」のは「当たり前」

氷野は、勉強ができるタチの人間であった。もともと好奇心が旺盛で、知識欲がある人間性をしていたので、学校の勉強というものに割合馴染みやすかったのもある。

おかげで高校3年の夏頃まで塾というものに通わずして、ほとんどの科目で評定は5、社会と体育だけ特別に苦手だったので4、という成績を修めてきた。

だがそれはただの事実でしかなく、私の中には苦い思い出がどす黒く蠢いている。

前回も話したのだが、氷野の家庭というのは異常なまでに「品行方正」な家庭であった。

東大卒の父に、教職バリバリの母。親戚には京大法学部卒や東大大学院在籍、関西大卒、北海道大の教授などが名を連ねる。

そんな遺伝子を受け継いだ私が勉強ができるのはもはや「当たり前」だったのかもしれない。

テストで70点、は「勉強不足」

そんな頭をしていると、小学校のテストは100点を取るのが当たり前、とされた。

中学校では90点で及第点、80点は勉強した範囲に抜けがあった、70点は勉強不足、60点はノー勉とみなされた。

テストは問題用紙と解答用紙をともに両親に提出し、「ここの問題は取れたはずだよね」「こんなケアレスミスはしちゃいけない」とダメ出しを受けた。

私の頭があれば、よほどの悪問がないかぎり、きちんと勉強さえしていれば100点に近い点数が取れるはずだ、とみなされていたのかもしれない。

それは期待だったのか、それともそれ以外のなにかだったのか。それは今となってはもうわからないが、とにかく、テストで99点をとっても、
「頑張ったね、今回のテストは簡単だったのかな?あと1点、なんで取れなかったの?」
と言われる始末であった。

勉強ができることが悩みだとは言えなかった

勉強ができることは、基本的に羨望の眼差しで見られるものであった。それについて不平不満をもらそうものなら、「嫌味なやつだ」「贅沢な悩みだ」とみなされるので、勉強しても褒められない、という悩みを他の人に打ち明けることはほとんどなかった。

そういう悩みが打ち明けられるようになったのは、高校で特進クラスに上がり、自分と同等以上の学力をもった友人ができるようになってからだった。

それでもその友人とは声をひそめて、「他の人には言えないよね」と苦笑しあったのをよく覚えている。

基本的に放任主義で、やりたいことをやれ、と言う「理解のある親」であったうちの両親に対して、文句を言える環境にはなかった。

上智大合格…「ノー勉でよく受かったね」

そんな私も大学受験を迎えることになる。

もともと国立大志望だったが、魔のセンター悪問にまんまとひっかかり、得意の国語で150点を叩いて(それで点数が低いと言われるのだから相当イカれた世界にいたとは今では思う)、国立大は諦めることに。

それで私大志望に切り替えて、センター利用受験も含めて12、3学部受験しただろうか。不合格だったのは、苦手な世界史で受験した早稲田の法学部だけだった。

偏差値50〜65の大学をほぼ総なめにして言われたことは、

「ノー勉でよく受かったね」

であった。

親は、私の成績があれば偏差値60未満の大学は滑り止め以下だろう、と思っていた。また、偏差値60を超えていても(具体的にはMARCHだが…)、私の実力以下の大学だ、とみなしていた。

その中で一番偏差値が高かった中央大法学部と上智大法学部に受かったときは、さすがに私も手放しで喜んだものだった。

だが、親は、
「中央に受かるのは当たり前。上智もノー勉でよく受かったね。国立大も勉強ちゃんとしてなかったから通らなかっただけで、1年浪人して勉強しなおせば受かると思うよ。浪人する?」
と言ったのだ。

それを聞いて、さすがの私もショックを受けたのをよく覚えている。

ノー勉なわけないだろう!

高校時代、私は毎日7時の開門と同時に登校していた。

朝の通学混雑を避けるためでもあったが、7時15分に教室について、8時15分ごろから学友たちでざわつき始めるまで、私がしていたのは、勉強だった。

部活を終えて家に帰ってくるのはだいたい20時ごろ。そこからご飯を食べて、23時に就寝するまで、ほとんどの時間を勉強時間に充てていた。

父によく言われていた。

「毎日欠かさず3時間勉強すれば、東大にだって普通に受かるよ」

いやいやいやいやいや、って話である。

しかし当時の私はそれは父だけだ…という言葉をぐっと飲み込んで、「毎日3時間勉強すれば東大に受かる」という言葉を胸に、毎日ほとんどの時間を勉強に費やしていた。

部活を引退してからは、さらに勉強時間は増えた。1日6時間の授業を受けて、その前後に合わせて5時間からの予習復習+αの勉強をした。1日の半分は勉強をしていたと思う。

勉強をしていない時間は趣味である本を読む時間に充てていたが、それも英語の本だったりしたのでほぼ勉強時間みたいなものであった。

高校3年生の後半になるとほとんど授業がなくなり、家で勉強する時間が増えた。その頃には英数国理社13科目の教材を積み上げて、勉強、勉強、勉強、勉強…の日々を送った。

それで迎えた受験。そして受けた結果。

「ノー勉でよく上智に受かったね」

へらへらと「そうだねえ」と笑っていた自分をぶん殴りたい。お前、勉強したよ!怒れよ!…と。

これでもまだ羨ましいだろうか?

そもそも、法学部に絞って受験をしたのだって、果たして自分の意思だったのかどうか怪しいところがある。

「品行方正」な私の家族。受験に失敗し大学生活からドロップアウトした兄。「零は曲がったことをしないね」と釘を刺されるように言われ続けてきたこと。

私は確かに自分の意思で高偏差値帯の法学部に絞って願書を書いた。

だが、その意思決定に、真綿で首を絞められるような、実家での息苦しさがまったく無関係だったか、と問われれば、答えは限りになくクロに近いグレーではないか、と思う。

なぜ、好きで得意だった英語に関する学部を選ばなかったのか。視野にも入らなかったのか。

頭の中でこだましていたのは、実家から常日頃言われてきた、
「やりたいことがなかったら自分が選べる道のうち一番難しい道を選びなさい」
ということばである。

そのことは果たして私の学生生活にまったく影響を及ぼさなかったのだろうか。

よく、「氷野の頭の良さが羨ましい。実家の物わかりの良さが羨ましい。」と言われてきた。

こんな実家でも、こんな生き方でも、まだ、羨ましいと思うだろうか?

いまだに、人には言えない。

この話は、自慢か嫌味かととらえられかねない話だと思う。

だから、いまだにあのとき辛かった、と人に言うことははばかられる。

だが確実に、私の人格形成の大きな部分を占めている。

勉強だけは私を裏切らなかったし、勉強したことは確実に私の糧になった。しかし同時に勉強というものを通して苦しめられたこともまた事実なのだ。

このこととどう向き合っていいのか、私はまだわからない。

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