よき家族でありたいという希望が憎むことをさせてくれない。精神疾患と家族の問題。氷野の場合。|第16回・精神疾患を考える

よき家族でありたいという希望が憎むことをさせてくれない。精神疾患と家族の問題。氷野の場合。|第16回・精神疾患を考える

唐突だが、氷野はもともと、物語を書くのが好きだった。読書好きが高じて、自分でも小説や漫画などを書くようになり、十年来創作活動に身を費やしてきた。

多くの作品を作る中で、自分の中にふつふつと煮えたぎるマグマのような「怒り」があることに気付いた。

その怒りは誰でもなく、自分の実家に向けられたものだった。

変わり者の父、電波過敏症の母、どこまでも無理解な兄

天才技術者肌の父

娘の立場で言うのもなんだが、父はいわゆる天才の部類に属する人間である。

風変わりなところはあったが、会社に技術屋としてつとめ、誰もが知っているようなあの電子機器のアレ(言うと確実に身バレするので言えないくらいのアレである)を作った実績もある。

ひととなりは穏やかで、怒ることを無駄と考え、問題を起こさないようにいかに合理的に生きるかが信条の人だったが、子どもたちに対してはつとめて対等に接してきた。

そんな父は、私と兄が思春期の真っ只中にあるときに、アメリカに4年の単身赴任した。家庭での父の不在は、特に兄に、大きな影響を及ぼしたと思う。

変わり者を前面に押し出す母

一方の母は、また別の意味で風変わりな人間だった。

多動的ながら、過度に心配性で、バリバリ仕事をするキャリアウーマンかと思いきや、変な行動を取ることをあっけらかんと公にし、
「周りに氷野さんは変な人だ、って諦めてもらうの。そうしたら、周りが適当に放っておいてくれるから生きやすくなるよ」
とのたまうところがあった。

そんな母も、もしかしたら今の感覚で言えば発達障害だったのかもしれないが、おおらかな子供時代を過ごした母は自分の「変」なところを丸ごと受け入れ、それすらも楽しんで生きているように見えた。

荒れていった兄

しかしそんな風変わり×風変わりな両親は、共働きで忙しく、子供については放任主義であった。

たしかに愛情を注いでもらったという確信はあるが、同時に、放って置かれた、寂しかった、という思いも拭えなかった。

そんな中で、兄は、荒れていった。

兄の苦悩は私が知り得るところではなかったが、両親にも、父がアメリカに発った後父代わりになってくれた祖父にも、反抗するようになっていった。

家庭の中では、兄を原因とする喧嘩が絶えなかった。

兄と親との確執、身代わりになった私

兄が時間問わずテレビにかじりついて離れないので、実家からは一切のテレビがなくなった。唯一テレビを見られるのは夕飯どき、祖父がニュース番組を見るときだけだった。

私は当然友達の会話についていくことができなくなり、ますます読書にのめり込むようになった。

兄は早々に勉強でドロップアウトをして塾に通うようになったが、兄は塾長に心酔し、異常なまでの愛着を抱くようになった。そのことを心配した母は私に「あの塾は信用ならない。」「兄も兄だ。変な大人につかまって。」とこぼすようになった。

勉強に関する兄の分の期待は、私が背負うことになった。その辺りの鬱屈した感情は、前回書いた通りである。

また兄と親たちとの喧嘩は静かに私の中に恐怖という澱を沈殿させていった。

怒鳴り声が怖かった。叱られるのが怖かった。だからいい子でいようと努めた。兄のようになるな、という言葉を忠実に守った。兄の分まで「いい子」を務めた。

一番荒れた大学時代の兄

兄は大学でもドロップアウトした。変な先輩に捕まりこれまたその先輩を盲信し、学業がおろそかになったのが原因であった。

その頃兄はすでに家を出て、大学の近くに住んでいた。だから家庭内での喧嘩、というのはほとんどなかったが、たまに帰省したときにはあんなに穏やかで声を荒げない父と、あわや殴り合い寸前の大喧嘩をよく繰り広げていた。

兄は実家に帰るのも抵抗があったのか、最後の方は
「今日実家に寄るから言っておいて」
と私を伝書鳩代わりにした。兄からの突然の帰省の連絡に、
「急なことばっかり言って!」
と叱られるのは決まって私だった。

その頃の私は高校に上がった頃。間近で兄が大学をドロップアウトする様を見ていて、得体のしれない強迫観念…「ちゃんとしなければ」という謎の思いが私を支配するようになっていった。

それでも、幼少期の優しい兄を知っていた私は、いつも兄をかばった。兄の伝書鳩になろうと、代わりに叱られようと、兄にも事情があるから…と親をなだめた。

そんな兄でも、欠かさず父や母の誕生日を祝ったり、結婚記念日や父の日、母の日には贈り物をしたりと、両親を労っていたから、本当には憎みあってはいないんだ、と私は自分なりに希望を抱いて兄の味方をしていたのだ。

兄からの「裏切り」

しかし、そんな私の思いは、裏切られることになる。

兄は早々に反抗期を終え、両親とぶつかり、仲直りをして、人生の軌道修正をすることができた。

だが私は反抗期を経験せずに大学卒業を迎えてしまったのだ。

就職活動で露見した空っぽな自分

以前も少し書いたことがあるかもしれないが…私の就職活動は一切うまくいかなかった。そもそも、大学生活が空っぽで身のないものだった。

自分が行ける一番難しい大学に行く、というだけで選んだ大学と学部では、私はほぼなにも学びたいことがなく、無為に4年間を過ごした。

自分の「やりたいこと」がなく「やるべきこと」をやるだけの受験期を終え、そのまま進学してしまった私は大学で「やりたいこと」を見つけられないまま、就職活動をすることになる。

やりたいことも未来の展望もなにもないままでは、当時の就職活動は乗り切ることはできなかった。

ほぼ無気力で、就職活動らしい就職活動などしなかったに等しい。自己アピールもウソばかり。志望動機も体裁のいいことを書くだけ。そこに自分なんていなかった。

そんな私が面接に行っても、スカスカな自分を見透かされてお祈りされて終了だったのだ。

「親不孝」と叱られたあの頃

思い余って、「探さないでください」と置き手紙だけ残し、はるばる九州まで逃亡したこともあった。

連れ戻された私に、実家は心配という名の怒りをぶつけた。子どものようなことをするんじゃない…死んだかと思った…命を粗末に考えるんじゃない…なんて親不孝なんだ…

親のために、実家のために、勉強に身を捧げ、友達ともろくに遊ばず、人生を捧げてきたのに、お前は親不孝だ、と言われたあの時、私は壊れてしまったのだと思う。

毎日泣いた。

「自分とはなにか」がわからなくて、泣いた。

「やりたいこと」がなくて泣いた。

「会社に入ってからやりたいことを探せばいいじゃないか」という親のアドバイスを受け入れられなくて、泣きじゃくった。

それでもなんとか内定にこぎつけた会社が2社あった。しかしそのうちの1社は親の猛反対で内定を辞退。もう1社に就職することになった。

就職の代わりに家出しました

徐々に近付いてくる卒業と就職。

私は、それについてなにも、本当になんの感情も抱かなかった。無関心で、無気力だった。私とは遠いところの出来事のようにしか思えなかった。

社宅に入るための引っ越し準備も、一切できなかった。

入ってもいないのに、会社を辞めたかった。

就職前研修合宿で倒れ、帰りたい、と相談するも、
「今まで脱落者を出したことがないから、今回も脱落者を出すわけにはいかない。だから返すわけにはいかない。」
と言われた、そんな会社に勤めたくはなかった。

そんな時に付き合っていたのが、今の主人だった。

主人は、「イヤな会社なら辞めちゃえよ!」と常々言っていたが、思い詰めていた私はとうとう、会社を辞める決断をした。

だがその決断を、とうとう親には言えなかった。

そして、私は家から行方をくらませたのだ。

待っていたのは、罵倒だった

家から奔走した直後は、親戚中からの連絡が絶え間なく鳴り響いた。

しかしいずれも、「一回家に帰ってこい」「説明しろ」というもの。実家に、私の味方はいなかった。

中でも、兄からの連絡は苛烈を極めた。

親不孝者…育ててもらった恩を忘れて家出なんかしやがって…お父さんとお母さんに詫び入れろ…お父さんお母さんに吐いた暴言を撤回しろ…

これらの兄の言葉は、私の心を滅茶苦茶に破壊した。

兄の代わりに実家の期待という重圧を一身に背負ったのは誰…?兄の代わりに矢面に立ったのは誰…?兄と両親を繋ぐリエゾンをやったのは誰のためだったの…?

淡い期待を、抱いていたのかもしれない。

兄が、もしかしたら、かばってくれるかもしれないと。実家という同じ重圧を感じて生きたきょうだいとして、味方になってくれるかもしれないと。

だが、その期待が現実になることはなかったのだった。

実家とはほぼ離縁状態である

家出をしてから、もう長いこと経つが、今でも実家の中で顔を合わせることができるのは、母だけである。

母は、私が就職活動中に「やめたい」とこぼしたことを汲み取ってやれなかった、と大層後悔したのだ、と言っていた。

それ以来、少しずつ、食事に行ったり、お茶をしたり、と、距離を縮める努力をお互いにして、今では月に1回程度、会うようになった。

しかし兄をはじめとしたそれ以外の親戚とは、ほとんど顔を合わせていない。連絡も取らず、幼かった従兄弟が大学に入った、という情報も、母伝いに耳にしただけだ。

実家を憎んでいるか?

それでも、実家を憎んでいるか、と聞かれたら、「複雑な気持ちを抱いている」としか返せない自分がいる。

愛情にあふれていた実家。私を愛してくれた実家。でも息苦しかった実家。逃げ出した実家。切り捨てたかった実家。それでも切り捨てられなかった実家。

どこかでまだ、楽しかった記憶やあたたかな記憶を捨てきれずにいるのだろう。

それが捨てられたら、どれほどよかったか、と思う。純粋に実家は悪だ!と言えたらどれほど気が楽だっただろう。

だが現実には、実家を憎みきれない自分がいることも事実なのだ。

これからも、煮え切らない思いを抱えたまま、実家との付き合いは続いていくのだろうと思う。

煮え切らないまま、今回はこの辺りで終わりにしようと思う。

ではまた。

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